個性がある人は自分というブランドを確立している

海沿いでハートの風船を抱える女性

これは、つい最近知り合った、21歳の大学生の男の子に言われた言葉。

「ファッションが好きな人って、自分というブランドを持っていますよね。」

この言葉には酷く感心した。

ファッションが好きで、尚且つ変に周りに合わせたり、振り回されたりもせず、自分のスタイルを大事にしている人からは、何か独特な雰囲気というものを感じる。

その雰囲気は、実際に着ているオシャレな服のコーディネートから発せられてる訳ではなく、その人の内面から滲み出ているものだ。

そこまでは以前からわかっていた。でも、その内面から滲み出ている雰囲気の正体については、そこまで深く考えたことはなかった。

その正体は『個性』という答えが簡単にわかっていたから。

でも、その”答え”は単純なものではなく、僕が思っているよりも、ずっと深いものがあるということを、彼の言葉で考えさせられました。

どんなことがあっても風化しない、自分のブランドという個性を確立し、それに対し自信を持って生きている人は、人一倍輝いていて素敵だと思う。

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ファッションを合理的に考えることの必要性

そんな、僕に『個性』というものの意味を改めて考えさせる機会を与えてくれた彼は、実はあまりファッションに興味がない。

例の「ファッションが好きな人って、自分というブランドを持っていますよね。」と言った彼はそのとき、MHL.のTシャツを着ていたので、僕はてっきり、彼自身もファッションに対してそれなりに情熱があるのかと思った。しかし、そんなことはなかった。

全くないということではなく、高校生のときは、彼なりにファッションに熱があり、いろいろと試行錯誤して楽しんでいたようだけど、大学生になった今では、その熱も冷め、今ではファッションに無頓着とは言われない、けれども特別力も入れない、無難なファッションを選択して生活しているとのこと。

その理由がまた面白い。

僕は彼に、「どうしてファッションにあまり興味がなくなってしまったの?」と聞いたら彼はこう言った。

『例えば1枚何万円もするTシャツを買ったとするじゃないですか。で、それを着るのは夏。つまり1年の約1/4の期間。その期間でそのTシャツを着るのは、週に1、2回程度。そう考えていくと、1年間でそのTシャツを着る割合はそうとう限られるじゃないですか。そんなものにお金を掛けるのが勿体無いかなって思うようになっちゃって・・。』

この考え方にはぶったまげた。ファッションが大好きな僕には到底考えつかない思考だから。

でも僕は、この考えに否定的な感情は一切持たない。むしろ、こんなふうに合理的にファッションについて考える人もいるんだな・・と、この意見にも酷く感心した。

確かに、僕自身、いくら服が好きと言っても、必要以上に浪費している部分がある。そんな無駄を無くすために、彼の様な合理的な考えを、これからの自分のファッションライフに組み込んで行かなければならないのかもしれない。

ネガティブな内面性は個性とは呼べない

で、ここからが本題なんだけど、『自分というブランド』・・この言葉は本当に素敵な意味が込められてると思う。

周りの意見に振り回されず、自分に自信があり、個性を大事にしている人は、しっかりとした芯・・自分というブランドを確立している。

たった1つのブランド。同じものは存在しない。自分の芯さえブレなければ、それは決して風化したり、廃れることもない。むしろ、進化していくものだと思う。

でもその芯がブレてしまったとき、そのブランドは輝きを失い、崩れてしまう恐れがある。そうならない為にも、いつでも謙虚な姿勢と柔軟な思考で、物事を捉えることが重要だと思う。

芯がない人ってのは、ここが決定的に欠けている気がする。自分よがりの狭い価値観で生きている人が輝けるはずがない。もしそういう人が、どんなにオシャレなファッションで身を包んでいても、それはただ「服」がオシャレなだけで、その人自身には輝きも何もない。

芯があり、自分のブランドを確立している人は、その人間味が溢れ出ていて、その雰囲気がファッションをも取り込み、本当の意味でのオシャレさんになる。

雰囲気があって目立つんだけど、決して嫌味じゃなく、自然に服を着こなします。何より、服でアピールするのではなく、オシャレな服を着た自分をアピールする。服は二の次。補助的な役割だと捉える。服は、自分の人生を輝かせるための手段に過ぎないということを知っているから。

芯がない人は、着ている服でアピールします。それもそのはず。内面に自分というブランドがないのだから、物理的な物でアピールするしかない。そうなると、必然的にオシャレが手段ではなく、目的になってしまう。

その様に考えていくと、個性(自分というブランド)は誰しもが持っているものとは言えなくなる。「個性は誰しもが持っている」みたいな文句は、もはや綺麗事でしかないのかもしれない。

ネガティブな個性は、個性と呼べるのか・・。それは僕には、ネガティブな内面性を正当化するために強引に個性と名付けているようにしか思えない。

個性は素晴らしいものです。みんなが自分というブランドを確立して生きていければ、きっともっと楽しい世の中になるのではないかと・・そんなふうに思います。

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